M作戦の成功を祈って2006/02/20 00:31

一昨日(2月18日)は“M作戦”の成功を祈って,カラオケにて「死ね死ね団のテーマ」を歌ってきましたが,倒すべき相手は日本国民ではなくレインボーマンなので「あいつの名前はレインボーマン」にすべきでした。

参考)

「死ね死ね団のテーマ」:“黄色い豚めをやっつけろ”等日本人を抹殺せよという歌です。

「あいつの名前はレインボーマン」:レインボーマンを殺せという歌です。

小林信彦氏のハイパーインフレ論の源泉を探る2006/02/20 02:48

この文章は

小林信彦のハイパーインフレ論|Economics Lovers Live
http://reflation.bblog.jp/entry/274583/

に関連して,ハイパーインフレ論がどこから来ているのかを中心に考えて小林信彦氏の著作をいくつか読んでみたまとめです。

(私は小林信彦氏の著作は出れば買うという愛読者です。)

チェックしたのはすぐ読めた(埋もれている本の中から見つかった^^;)以下の3冊です。

     
  • 『花と爆弾 人生は五十一から』(文藝春秋,2004)
  •  
  • 『定年なし、打つ手なし』(朝日新聞社,2004)
  •  
  • 『本音を申せば』(文藝春秋,2005)

全体の印象としては,

ある村で原因不明の病気が流行っていた。

村にやって来た調査団は湖の片隅の祠から放射線が出ているのを発見した。

「壊して調査してみるべきだ。祠の中を調べれば病気は止められる。」

すると村の古老が

「科学だがなんだかしんねぇが,あの祠は壊しちゃなんね。恐ろしいことさ起きる。すぐに都会さけえっちまうのに,何言うか。神様さ怒ったら学者さ何ができる。おめたちわけもんは,昔さしらん。30年めぇにも,おらがちいーさいときにも恐ろしことさ起きた。。」

という感じです。

特撮映画・怪奇映画・諸星大二郎ですと,壊してしまったがために何かが起きてしまうのですが(笑)。

この3冊の中には,誰かの説に依拠してハイパーインフレになると述べた文章はありませんでした。

景気に関する文章に繰り返し現れるモチーフは不安感であり,それは『定年なし、打つ手なし』のあとがきで述べられているものとほぼ同じものです

ぼくが会社を(今風に言えば)リストラされて、やむなく、というか、強引に、自営業に入ったプロセス、中年の不安、インフレへの恐怖、老年に入る時のとまどい―それらを大げさにならないように書いたのが、この本の第I部である。

『定年なし、打つ手なし』あとがき(P.263),(小林 信彦,朝日新聞社)

では,小林信彦氏のインフレに対する感覚、反インフレ(目標)はどのようなものでしょうか

まず,前提条件として高いインフレになり自分の生活が脅かされることへの不安(恐怖)があります。

その他,戦争体験からくる責任と取らないもの(国,マスコミ,教師)への不信感があります(根拠レスですが,学者もそこに入ってくるのではないかと思われます)。

そこへ学者(責任を取らないもの)がインフレを起こせと提案しているという情報が入ってきて,「そんな事はトンデモない」ということになったのではないでしょうか。

[情報の入手先]

情報の入手先としては,ある程度信頼の置いているものとして以下のようなものがあげられています。

  • 週刊誌・夕刊紙(大手マスメディアは信頼していない)
  • ラジオ(主にTBSラジオの『アクセス』(関連ありそうな人物として田中康夫氏,宮崎哲弥氏,金子勝氏(ゲスト))『伊集院光 日曜日の秘密基地』)

[ハイパーインフレ]

さて,インフレを起こせばハイパーインフレになるという言説ですが,これが誰かの説によるのであれば,これまでの小林氏の書き方からして,出典を書くでしょう。そういう文章は見つかりませんでした。ですのでこれは一つの説によるのではなく,インフレ目標を定めてインフレに誘導したときに首尾よく止められるのかが自分でも疑問であるしそういうことも聞こえてくる,ということではないかと思います。

結局のところ小林氏の問題意識はハイパーインフレにあるのではなく,インフレによって引き起こされる生活苦への不安にあると思われます。

「恐怖のインフレ体験」(『にっちもさっちも 人生は五十一から』)は,「あの高いインフレを体験していない学者に“それがどういうことを引き起こすのかわかるのか,一般人がどういう生活になるのかわかるのか”」という思いがあるのでしょう。「高いインフレは三度来る」ということではないでしょうか。

(余談:小林氏は戦後すぐについては“ハイパーインフレ”という言葉を使っていますが,石油ショックによるインフレについては使っていません。使い分けていると思われます。)

脱線)田中康夫氏(『アクセス』)経由でということも考えて『ニッポン解散 続・憂国呆談』を読んでいたら,浅田彰氏の以下の言葉がありました。

浅田 (略)景気対策無しの構造改革は無茶だし,景気対策を金融政策だけでやるのは無理。日銀がどんどん国債でも買って日銀券をばらまけばインフレに誘導できるとしても,それで本当に実体経済が良くなるのか。またインフレを一定限度で止められる保証はあるのか。

竹中バッシングは是か非か(P.18),(『ニッポン解散 続・憂国呆談』,田中 康夫・浅田 彰,ダイヤモンド社)

参考/引用:

自営業の不安

自由業者(=自営業者)の不安について語りたいと思う。

(略)

こういう仕事は、自分の子供には絶対にやらせたくない。不安に苛まれるだけでなく、病気にもなれない。

できれば避けたい不安の連続(P.32)(『定年なし、打つ手なし』,小林 信彦,朝日新聞社)

インフレ体験と恐怖感

<時代の風>とか<空気>というものがある。

忘れている人もあるだろうが、六十五以上の人は、敗戦直後のあおのハイパーインフレの恐怖が身にしみているはずだ。NHKのアナがよく「セピア色の過去」という言葉を使うが、ぼくにとっては、きわめて生々しい過去である。

それは忘れたとしても、1974年(昭和49年)の狂乱物価、消費者物価24.5パーセント上昇は覚えているだろう。ある出版社の社長が顔を蒼白にしていた。紙が値上がりしたからではなく、地上から消えてしまったからだ。

いま、ぼくがひしひしと感じているのは、そういう不安である。ぼく以外の高齢者もそれを感じているはずだ。胸をしめつける<空気>とは、これである。

四十代の人には、これが伝わらない。物価は安定、自分はいつまでも元気で、いまと同じに働けると信じているからだ。五十五か六十にならないと、肉体の不安は頭をもたげない。ましてや、高齢者の不安は想像できない。かつてのぼくがそうであったように。

高齢者はなぜお金を使わないか?(P.194)(『花と爆弾 人生は五十一から』(小林 信彦,文藝春秋),初出:2003/10/02

1973年に石油ショックがあり、1974年には消費者物価が24.5パーセントも上昇した。まちがいなくインフレである。

ぼくは蒼くなった。ハイパーインフレの怖さを少年時代に体験しているからだ。二人目の子供が生まれたばかりだったし、物価が約25パーセント上がってはたまったものではない。原稿料の収入など、右から左に消えるばかりが、目減りするのだ。

それまで、ぼくは自作の文庫化など、本気で考えたことがなかった。かなり〈怪しくなった〉にしろ、文庫=古典と、ぼくは信じていたからだ。

しかし、もう、生活が成り立たない。

(略)

親切な友人のおかげで、七冊は文庫に入ることになり、1974年の晩秋に世に出た。こまかいことは省略するが、これで、ぼくは〈戦後初のマイナス成長期〉を切り抜けた。

〈うつ病状態〉の中で(P.44)(『定年なし、打つ手なし』(小林 信彦,朝日新聞社)

マスコミについて

小泉の年金未加入問題をしつこく追及した「週刊ポスト」、「週刊新潮」、「週刊文春」や日刊ゲンダイを読んでいないと、なにがどうなっているのか、少しもわからない。例外はあるとして、大新聞とテレビ局が、すべて、政府側に立っている資本主義国なんて、他にあるのだろうか?

まくらが長くなったが、ラジオが力を発揮するのは、ここである。

(略)

午前中はきいていないのだが、三時半の「荒川強啓デイ・キャッチ!」から野球をはさんで十時の「アクセス」につながる流れが強い。

(略)

TBSの強さの中心は、実はソフト<天下国家>なのである。(略)。いや、日曜午後の四時間番組「伊集院光 日曜日の秘密基地」も、あちこちに辛口のニュースがある。

本音のラジオと不安心理(P.119)(『本音を申せば』(小林 信彦,文藝春秋),初出:2004/06/10)

ここに、宮崎哲弥、二木啓孝両氏がゲストで出て、まあ、TBSのバトルトーク番組「アクセス」チームのレギュラーの人たちですね。

(略)

番組には、田中長野県知事、さらに、宮台真司、金子勝の両氏も加わるというので、これはもう、オールスターなのですね。「アクセス」リスナーにとっては。

選挙の一日(P.235)(『花と爆弾 人生は五十一から』(小林 信彦,文藝春秋),初出:2003/11/27)