数学至上主義2006/03/08 01:51

一つの門派を修めれば他の門派のことも解る

できるわけではないが解るようになる

セイバーキャッツ5巻 P.124(山本貴嗣,角川書店)

もう,すっかりどうでもいい話題だとは思いますがw,掘り起こしたのでとりあえず

発端 Re: スティグリッツ経済学と薮下史郎(ショートバージョン): ホットコーナーの舞台裏
http://iiyu.asablo.jp/blog/2006/02/17/257215

最初に書いておきますと,私は中村氏の著書ならびにWebの愛読者です。

氏にはずいぶん教えられました。計算機科学のアカデミックな世界を知ったのも氏の書かれたことによりますし,GNUの存在とその過激さやPCよりもっと大きな世界など数々の事を教わりました。大変ありがたく思っています。

そのような方が多いせいか,中村氏に対する批判の多くは理解してもらおう(理解してもらいたい)という表れが多かったように見受けられます。

ただ,何を言っても無駄だろうなぁと考えるのは,氏の世界観は数学至上主義であり,高いレベルの数学の技術を使うかどうかが評価の対象になっていると思われるからです。

数学のことをいうのは、数学が、いま、人類が手にしている最も精密な言葉 だからです。数学ファンなら、当然、さらに最も美しい言葉ということを付け 加えるでしょう。

ぼくは悲しいことに数学という言葉が読み書きできないから、精密な議論は できないけど、数学で定式化することで、数学的操作に非常に面白いことがわ かるということくらいはわかってます。

なんか、いっぱいコメントやトラックバックついてました^^;: ホットコーナーの舞台裏

(こんなにいいものがあるのに何で活用しないんだぁーという心境はわからなくもないのですが…)

上記に加え,この事についての確信を深めたのは10年以上前の以下の文章によります。

文学というか文芸批評というか,あの世界では数学使わないんですか? プログラムの世界じゃ,形式的意味論がある.おれは,ロシア・フォルマリズムって文学における形式的意味論だと期待してしまったんですね.

研究だったら数学的に文学作品を記述するなんてことを,どこかでやっててほしい.数学を駆使してですね,フラクタルでもカオスでもニューロでも何でもいいけれど,使えるものは全部使って数理文学という学問くらいはできてなきゃ,研究としては嘘だろうと思う.

(略)

でさ,数理文学の試み,やってみて失敗したってんだったら許せるけれど,やったことないんだと文学,文芸批評の研究者は怠慢ですね.とか挑発しちゃったりして.日本はダメだと思うんですよ.受験用に文系,理系って早くから分けちゃうから,文学部の人って数学出来ない人が大半でしょ.おれ言っちゃうぜ,数学もできないくせに批評なんかするな.というおれ様,数学が出来ないんだよね.

中村正三郎,電脳騒乱節Vol.3 P.24 連載第25回●工学部只野狂獣(技術評論社,平成3年10月5日初版)

世の中は数学で記述されていないので,数学の活用を価値の評価軸にするのは面白い切り取り方が出来るかもというだけで,何の役にも立ちません。

また,高度な(?)数学を活用しているかという基準に対して,こんなに活用していますという説明では,実際にそれが基本ではないので本質的な理解になるとは思えません。

結局のところ,そのような考え方を変えていただくしか方法はないのですが,それが見込めない以上は全ては徒労だろうなぁと思います(やる意味無しということではありません,為念)。