『日本型ヒーローが世界を救う!』 でまたちょっと考えたこと ― 2006/03/16 01:31
増田悦佐『日本型ヒーローが世界を救う!』 に関連して,田中先生のドラフトでまたちょっと考えた。
(田中先生のドラフト:書評再掲:『日本型ヒーローが世界を救う』の草稿として公開されていたものです。)
1.アメリカでは規制が厳しくて発達しなかったのか?
北米でもポケモンや遊戯王のヒットで子供を主人公にしたアニメが流行ることが発見された。
日本では手塚治虫により,マンガの可能性が見出され公知のものとなった。
アメリカではその発見がなかっただけではないのか?ついでに,アメリカの子供はマンガの代わりに何にお金を使ったのだろうか?
(どの産業を発達させたのだろうか)
2.アニメも自由競争の産物?
宮崎駿氏が手塚氏に対する追悼原稿で,手塚治虫がダンピングしなければアニメには別のあり方があったのではないかという趣旨のことを述べました。
マンガと同様にこれも(安売りのおかげで)自由競争で今日の隆盛があると考えられるのではないか。
別のあり方は,上質ではあるかもしれないが刺激的ではないかもしれない(ある種のアメコミのように)。
またはフランスのBDのように芸術性は高いが一般受けはしないかもしれない
3.集団
セーラームーンにしろ,ドラゴンボールにしろ明確に主人公は定まっており,物語の幅を広げる為に他のキャラはいる。
見る人を増やす為にも効果があるのではないか(色々なキャラがいると趣味に引っかかる要素が増える)。
手塚治虫はキャラよりも物語優先ではないか。
セーラームーンの物語構造は少年マンガの対決ものと同じである。少女にも受容する余地があることはセーラームーンによって発見されたのではないか。
4.ついでに思い出したこと
イギリスの少女マンガ
ナナオの症候郡(2)P.127(速星 七生,サンコミックス,1984年刊)
- 32ページに連載10本
- その中の7本は主人公の少女が苦労するお涙ちょうだいもの。
アメリカの日本ファンマガジン
新宿のゲーム屋(シミュレーションゲームやRPGを扱っているところ)で昔買った雑誌
アニメが中心だけれどもそれ以外の日本文化も紹介していた。
で,ドラマの紹介などもあって,その中になんと「サラリーマン金太郎」があった!
“Japanese business man”の物語とあったが,なんか違うとおもってしまうw。
発見
模倣と考えるより,ある物事が発見されそれが共有される,と考える方がしっくりくるのではないだろうか。
萌えって特徴の発見ではないかとちょっと思ったり
大塚英志への無関心
無茶すぎて批判するほどのことかね,と思ってしまう。
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