こんな夢を見た ― 2006/03/01 00:13
うとうととして、こんな夢を見た。
名前はと問い詰められて「猪太郎(イノタロウ)」と答える。
猪太郎って誰?
似て非なるもの~青い館~ ― 2006/03/03 01:25
祭りの後の取得物 ― 2006/03/05 00:32
DVD
- リンダリンダリンダ(監督: 山下敦弘 ,バップ)
出演: ペ・ドゥナ, 前田亜季,香椎由宇,関根史織
サンダ対ガイラを買おうと思い立って昼休みにヨドバシカメラに寄るも見当たらず,代わりに(?)これを購入。
まだ,映像特典の‘パーランマウム’のライブと本編を少ししか見てませんが,買ってよかったと思います。同時に劇場で見ておけばよかった,ともOrz。
校舎を背景に学生が歩いているカットに高校時代を思い出してくらっときたり,ソンさんが小学生と一緒にマンガを読んでいるときに先の展開を言われてちょっとむっとしたときの表情にくらっときたり。
ペ・ドゥナのボーカルはところどころ不安定さがありますが,それがブルー・ハーツの曲とあいまって味となり,なんともいえない良さを醸し出しておりました。
これは,CDを買わねば。
ちょっと見ただけで色々な思い出がぐるぐると。
ブルー・ハーツ全盛期に教師をやっている友人の教え子のコピーバンドを撮影したこと。
特典映像のライブの撮影がカメラ1台で,メンバーアップ→引いて全景→別のメンバーアップを繰り返すのを見て,そうなんだよなーワンカメはきついんだよなぁ,でもファインダを覗いていない目で全景を見ながらパンして行く方が映像が落ち着くとか。
ペ・ドゥナの母国語での演技が気になるので,いくつか見てみようかなぁ。
数学至上主義 ― 2006/03/08 01:51
一つの門派を修めれば他の門派のことも解る
できるわけではないが解るようになる
セイバーキャッツ5巻 P.124(山本貴嗣,角川書店)
もう,すっかりどうでもいい話題だとは思いますがw,掘り起こしたのでとりあえず
発端 Re: スティグリッツ経済学と薮下史郎(ショートバージョン): ホットコーナーの舞台裏
http://iiyu.asablo.jp/blog/2006/02/17/257215
最初に書いておきますと,私は中村氏の著書ならびにWebの愛読者です。
氏にはずいぶん教えられました。計算機科学のアカデミックな世界を知ったのも氏の書かれたことによりますし,GNUの存在とその過激さやPCよりもっと大きな世界など数々の事を教わりました。大変ありがたく思っています。
そのような方が多いせいか,中村氏に対する批判の多くは理解してもらおう(理解してもらいたい)という表れが多かったように見受けられます。
ただ,何を言っても無駄だろうなぁと考えるのは,氏の世界観は数学至上主義であり,高いレベルの数学の技術を使うかどうかが評価の対象になっていると思われるからです。
数学のことをいうのは、数学が、いま、人類が手にしている最も精密な言葉 だからです。数学ファンなら、当然、さらに最も美しい言葉ということを付け 加えるでしょう。
ぼくは悲しいことに数学という言葉が読み書きできないから、精密な議論は できないけど、数学で定式化することで、数学的操作に非常に面白いことがわ かるということくらいはわかってます。
(こんなにいいものがあるのに何で活用しないんだぁーという心境はわからなくもないのですが…)
上記に加え,この事についての確信を深めたのは10年以上前の以下の文章によります。
文学というか文芸批評というか,あの世界では数学使わないんですか? プログラムの世界じゃ,形式的意味論がある.おれは,ロシア・フォルマリズムって文学における形式的意味論だと期待してしまったんですね.
研究だったら数学的に文学作品を記述するなんてことを,どこかでやっててほしい.数学を駆使してですね,フラクタルでもカオスでもニューロでも何でもいいけれど,使えるものは全部使って数理文学という学問くらいはできてなきゃ,研究としては嘘だろうと思う.
(略)
でさ,数理文学の試み,やってみて失敗したってんだったら許せるけれど,やったことないんだと文学,文芸批評の研究者は怠慢ですね.とか挑発しちゃったりして.日本はダメだと思うんですよ.受験用に文系,理系って早くから分けちゃうから,文学部の人って数学出来ない人が大半でしょ.おれ言っちゃうぜ,数学もできないくせに批評なんかするな.というおれ様,数学が出来ないんだよね.
中村正三郎,電脳騒乱節Vol.3 P.24 連載第25回●工学部只野狂獣(技術評論社,平成3年10月5日初版)
世の中は数学で記述されていないので,数学の活用を価値の評価軸にするのは面白い切り取り方が出来るかもというだけで,何の役にも立ちません。
また,高度な(?)数学を活用しているかという基準に対して,こんなに活用していますという説明では,実際にそれが基本ではないので本質的な理解になるとは思えません。
結局のところ,そのような考え方を変えていただくしか方法はないのですが,それが見込めない以上は全ては徒労だろうなぁと思います(やる意味無しということではありません,為念)。
見逃していたもの ― 2006/03/13 01:01
ゼロ解除
1月にはプレスリリースが出ていましたか。
「緯度0大作戦」4月28日発売です。
監督:本多猪四郎,特技監督:円谷英二,音楽:伊福部昭,出演:宝田明
幻の作品で名作とも迷作とも言われておりますが,(確か権利関係で)国内での発売不可能(今までビデオでもLDでもなし)と言われていた作品が出ることは喜ばしいことです。
(まあ,台湾版とか色々あったので手段はあったったって言えばあったんですが^^;)
これで東宝=円谷英二で残るのは「獣人雪男」と「ノストラダムスの大予言」ですが,それぞれ差別問題がらみなので難しいでしょうね(「ノストラダムス」は今となっては問題ないと思いますが。「獣人雪男」は未見のためわかりません)。
円谷英二のおもちゃ箱 もう一つのファインダー
円谷英二が8mmで撮影していた撮影風景や関係者の証言などで円谷英二の特撮世界を紹介するもの。同じく4月28日発売です。
もう,これは8mmの映像が楽しみです。今までスチールでしか見ることが出来なかった撮影風景がわかるのは大変貴重です。
怪獣のあけぼの
有線ブロードバンドネットワークスのパソコンテレビ「GyaO」でやっていた番組。
画家で造形家の高山良策氏(1917-1982)についてのドキュメンタリー。実相寺昭雄監修。
高山氏がどういう人かというと色々な怪獣の着ぐるみなど(乗り物もあり)を作った人です。手がけた作品は多数あり,(勿論それぞれの番組で全部作ったわけではないですが)怪獣王子・ウルトラQ,ウルトラマン,ウルトラセブン,帰ってきたウルトラマン・ブースカ・豹マン・ライオン丸(怪傑・風雲)・スペクトルマン(ゴリとラーもそう)・レッドバロン・大魔神・ガメラ対バルゴンと多岐にわたります。
これは見たかったなぁ。昨年でた「ウルトラセブン1969」に8mmが一部収録(ガッツ星人を型から外すところ,デパートの怪獣展)されていますが,足跡の割にまとまった書籍があまりない(専門に取り上げたものはなし)のでかなり貴重な番組でした(多分)。
デザインの成田亨氏(ウルトラマン・ウルトラセブンなど)や高山氏など美術家が特撮界にもたらした影響について知りたいと思っていただけに,見逃したことがつくづく悔やまれます。
DVDになって欲しいものですが,大魔神やピープロなど多岐にわたって取り上げていたようなので単発の番組関連(ウルトラ等)での発売は難しいでしょう。
GYAOは番組をDVD化するようです。第1弾のプレスリリースによると以降のラインナップに「怪獣のあけぼの」も入っているようです。
2006.3.15 追記
WBC日対米のいわゆる誤審について ― 2006/03/14 01:53
さて,どちらが本当なんでしょう。
米国-日本戦球審のボブ・デービッドソン審判員の話 満塁でのタッチアップをチェックするのは球審。(二塁塁審の)ナイト審判員はいるべき場所である三塁付近にいたが、タッチアップをチェックする権限はない。それが最初に(問題なしとの)判定を下してしまった。球審の判定すべきところであり、私は離塁が早いと判断した。
【WBC】日本戦球審「判定は球審権限」 - nikkansports.com
審判員のマニュアルでは満塁の場合は球審が三塁走者のタッチアップを確認する。ただ二塁塁審がセーフの判定を下した後の他の審判員よる判定変更は、野球規則9・02(c)に抵触する可能性がある。コミッショナー事務局の丸山・野球規則委員は「二塁塁審から相談を求められたのかが問題。そうでないのなら越権になる」と話した。
岐阜新聞:FLASH24:スポーツ
野球規則をざっと眺めてみましたが,満塁での三塁走者のタッチアップについて球審しか判定を下せないという項目は見つかりませんでした。
参考:
MLBの野球規則(日本の野球規則は出版物しかありませんでした。手元に野球規則はなく1977年のルールの解説書を参考にしました。)
おそらくこれは上記に「審判員のマニュアル」とあるように運用上の取り決めではないでしょうか。そうるすと,権限という絶対的なものではなく,そうした方が良いという行為に過ぎなくなります。
一方,野球規則には9.02(c)にある審判員が下した判定を他の審判員が(相談されることなく)変更してはいけないとあります。したがって球審の専権事項ではない行為について塁審が判定をくだしたものを球審が変更することは許されません。
また,9.02(b)には,監督は判定をくだした審判員にのみ抗議できるとあります。したがって,球審に抗議した監督も規則違反となります。
ただし,塁審が判定を下していない場合には,球審の判定も監督の抗議も問題となりません(塁審は手を広げただけで判定を下していないとする見解)。
しかしながら,球審も塁審が判定を下したとの談話を残しているので,これは成り立たないでしょう。
野球規則に反する行為を行う審判員は資質に問題があるため,今後の使用を見合わせるべきと思います。
余談とはなりますが,球審に判定を下す権限があったとしても監督の抗議を聞いてからそのチームに有利な判定を示すというのは,公正さを疑わせる行為であり,試合運営上不適切な行為です。やはり審判としての資質に問題があると思います。
さらに余談)普及している国が限られている為,第三国による上級の審判員の確保が難しいということは,これからも問題となるでしょう。審判員の育成をするとともにレベルの低い審判員を排除する仕組み(審判を判定する)や公正な判定のためにビデオを導入する(NFLのように回数制限でチームから求められる)といったことも必要となるでしょう。
日本は質問書を出したようです。
日本が質問書提出へ 米国戦の判定変更で(MLB News,MAJOR.JP)
同時に要望書も提出したようで3年後の第2回大会に向けて、参加国・地域のすべてから審判員や運営委員を出して公正な競技運営を図るように求め
るようです。
2006.3.15 追記
『日本型ヒーローが世界を救う!』 でまたちょっと考えたこと ― 2006/03/16 01:31
増田悦佐『日本型ヒーローが世界を救う!』 に関連して,田中先生のドラフトでまたちょっと考えた。
(田中先生のドラフト:書評再掲:『日本型ヒーローが世界を救う』の草稿として公開されていたものです。)
1.アメリカでは規制が厳しくて発達しなかったのか?
北米でもポケモンや遊戯王のヒットで子供を主人公にしたアニメが流行ることが発見された。
日本では手塚治虫により,マンガの可能性が見出され公知のものとなった。
アメリカではその発見がなかっただけではないのか?ついでに,アメリカの子供はマンガの代わりに何にお金を使ったのだろうか?
(どの産業を発達させたのだろうか)
2.アニメも自由競争の産物?
宮崎駿氏が手塚氏に対する追悼原稿で,手塚治虫がダンピングしなければアニメには別のあり方があったのではないかという趣旨のことを述べました。
マンガと同様にこれも(安売りのおかげで)自由競争で今日の隆盛があると考えられるのではないか。
別のあり方は,上質ではあるかもしれないが刺激的ではないかもしれない(ある種のアメコミのように)。
またはフランスのBDのように芸術性は高いが一般受けはしないかもしれない
3.集団
セーラームーンにしろ,ドラゴンボールにしろ明確に主人公は定まっており,物語の幅を広げる為に他のキャラはいる。
見る人を増やす為にも効果があるのではないか(色々なキャラがいると趣味に引っかかる要素が増える)。
手塚治虫はキャラよりも物語優先ではないか。
セーラームーンの物語構造は少年マンガの対決ものと同じである。少女にも受容する余地があることはセーラームーンによって発見されたのではないか。
4.ついでに思い出したこと
イギリスの少女マンガ
ナナオの症候郡(2)P.127(速星 七生,サンコミックス,1984年刊)
- 32ページに連載10本
- その中の7本は主人公の少女が苦労するお涙ちょうだいもの。
アメリカの日本ファンマガジン
新宿のゲーム屋(シミュレーションゲームやRPGを扱っているところ)で昔買った雑誌
アニメが中心だけれどもそれ以外の日本文化も紹介していた。
で,ドラマの紹介などもあって,その中になんと「サラリーマン金太郎」があった!
“Japanese business man”の物語とあったが,なんか違うとおもってしまうw。
発見
模倣と考えるより,ある物事が発見されそれが共有される,と考える方がしっくりくるのではないだろうか。
萌えって特徴の発見ではないかとちょっと思ったり
大塚英志への無関心
無茶すぎて批判するほどのことかね,と思ってしまう。
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